読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ろぐりずむ

主には宝塚の感想。他のミュージカルも観ます。

ロボットにはできないこと〜私が舞台を好きな理由

私たちの生活は、日々便利になっている。その理由の1つは、家電やスマートフォンなどのロボットであると考えられる。

しかし、ロボットにもできないことはある。今回はロボットにできないことについて書くと共に、なぜ私がそれに惹かれるのかについて書いていこう。


気持ちの共有とは
まず結論から言うと、ロボットにできないことは「感情を共有」することである。

その中でも、とりわけ舞台はそれが顕著だ。なぜなら、舞台はナマモノだからだ。

私の体験談
まず例として、私の体験談から。私はかれこれ10年くらい音楽をしている。そして、度々演奏会があり、舞台に立つことが多い。

そして舞台に立つと、何かしらハプニングが起こる。楽器の弦が切れたり、急に楽器の調子が悪くなったり。ハプニングがない本番はない。ハプニングも含めて、本番なのだと感じる。

そんな困ったハプニングもあれば、舞台には本番でしか味わえない感動がある。

それは演奏している側が感情が高まり、「音楽って楽しい」というような気持ちが客席まで伝わり、ホール中が同じ気持ちになることだ。

これは出そうとしても出せない。いくら練習しても、どんなに上手くても。舞台はナマモノだからこそ、定式がないのだ。

他の例を挙げてみる
他にも、宝塚。そしてお笑いのライブ。これらにも当てはめることができる。

「共有」を測ることは難しい
共有には、喜怒哀楽たくさんある。その中でも、1番演者として嬉しいのは「感動」であると思う。

しかし、この感動の共有を測ることは非常に難しい。泣いたからと言って、感動するわけではない。小さな心の機微が、感動につながる。

だから、こういった感動を創り上げ、共有することはロボットには難しいと考える。

あとがき
もしかしたら、将来「アイロボット」のような未来はあるのかもしれない。それは誰にも分からない。

けれど、ロボットにはできないこともある。この文を考えるに当たり、私はなぜこんなにも「舞台」に魅力を感じるのかとずっと不思議に思っていた。

そして、考えた結果、私は舞台に求めていたのは、向こう側の人たちとの共有を求めていたからだったのだと分かった。分かったから、またどんどん好きになってしまうだろう。

青年団大阪大学ロボット演劇プロジェクト
最後に、ロボット演劇について残しておこう。私はこの記事を書くまで「ロボット演劇」なるものを知らなかった。

調べてみると、ロボットが舞台に立っている!観に行きたい。カフカの『変身』なども過去には上演されたようだ。